【解説3】離婚・貧困・孤独の悪循環から抜け出すには
離婚と貧困、それに孤独の悪循環から抜け出すには、
本項で初めて発表する『天男地女論』(てんなんちじょろん)という太陽系創生の原理を
離れて人間は生きられないことを、まず最初に知るべきである。
それは本来的には男は天(太陽)であり、女は地(地球)とするからである。
なんとなれば耶蘇(キリスト教)においても、「天にまします吾らの父よ、とか、母なる大地」との表現があり、
天は雨(精液)を降らし、それを受けて大地は万物をはぐくむところからもうな
ずける比喩(ひゆ)である。
このように男女は肉体的にも生理的にも、天地の関係になぞらえて創られているので、この天男地女論からすると、
男子は「天であり陽的であり能動的」である。
女子は「地であり陰的であり受動的」であるといえる。
なぜなら、男子は天(太陽)の意、女子は地(地球)の意をつかさどるので、たとえば天(地球上を覆う太気の気配の概念)が
春の気をもよおすと、やや遅れて地上は春になる。ふつう、これには約四十日ほどの遅れがある。
天の気では春分(毎年、三月二十一日ごろ。太陽の黄経〇度)をもって春真っただ中とするが、それまで冬の気で冷えていた地上が
暖まるのに約四十日ほどかかるので、地上にまったくの春の気配がおとずれるのは概略五月一日ごろとなる。
ゴールデン・ウィークは、この理にてらして定められているといっていいだろう。
秋の彼岸(秋分。太陽の黄経一八〇度)は毎年、九月二十三日ごろ。それから約四十日ほどかかって地球は冷え、
地上にまったくの秋の気配がおとずれるのは、概略十一月三日(文化の日)ごろ。
つまりこのころが人間生活にとって最も快適な気候になる。
だから各地で運動会や各種の催し物が開かれるのである。
二十四節気の大暑は夏至(毎年、六月二十二日ごろ。太陽の黄経九〇度)、大寒は冬至(毎年、十二月二十二日ごろ。
太陽の黄経二七〇度)から約四十日ほど遅れてやってきて、それぞれ、最も暑い(二十四節気の大暑前後ころ)、
最も寒い(二十四節気の大寒前後ころ)の日柄になるのは、そのためである。
地球でさえ、このように天の気に従って四季の気候温度が変遷するのに、その地球に生まれ地球でしか生きられない人間が、
この自然界の道理(天意。天男地女の理)に背いて生きられるはずはない。
もしこの道理に逆らって生きると、「かならず天の違逆(いぎゃく)に逢う」といい、大にしては国家争乱、
小にしては家庭不和や個人の精神の乱れ、それにはなはだしいばあいは身体の不調になって表れ、
結果いずれも社会全体や個人の精神や健康に重大な影響をもたらす。
天の違逆とは天罰。いわゆる、しっぺがえしのこと。
したがって、健全な肉体に健全な精神が宿るとも、また健全な精神が健全な肉体を作るといわれるのも、
あながち道理のないことではない。
いま、日本で離婚が多いのも、自殺者がここ12年、年間三万数千人と高止まりしているのも、
そして親から子へと貧困と虐待の連鎖がつづくのも、あるいは戦前にはなかった「うつ」が大きな社会問題になるのも、
みな、全部、ここに原因がある。
つまり女性が男性に勝り、天地の理法に逆した生活をするとか、もともと男女は雄松雌松(おまつめまつ)のへ
だてがないのに、きょくたんな男尊女卑(だんそんじょひ)を振り回して女子を虐待(ぎゃくたい)するのも、
みな天罰として天の違逆に遭うのである。これは女性とくに進歩的な女性、あるいは大した男でもないのに
威張り散らす男性に対しては、ひじょうにきびしい指摘だが、地球の太陽に対する公転でさえ、
このように万古不変に動いている絶対とも言える真理だから、これは無条件に従ってもらうよりほかない。
もちろん国家の紛争だって為政者と人民の、本来あるべき形態のバランスが崩れたり、自国の勢力を他国におよぼそうとして
覇権に訴え戦争をしかけ、相手国民をドレイ化するのも、みな同じ理由でけしからんのである。よって、
「夫は妻子を養い、妻は夫の教導に従い、親は子女を教育し、妻が家政を整える家」
に天罰が下るはずがなく、そんな家は子々孫々にいたるまで隆々(りゅうりゅう)として栄えるのである。
妻が家政を整える―とは家庭をキチンと守り、夫をして内憂なからしめることをいう。
戦後、アメリカの影響や左翼勢力の台頭による政治や行政や教育の乱れで、日本の麗しい伝統が崩壊し、
本来、絶妙にあるべきバランスが崩れ、いま日本は混乱の極にある。
この絶対的な道理(真理・バランス)を外れて、人間は幸福に生きられないのに、こんなことを、
なんにも知らない人たちやアメリカ信奉者が、ああだこうだと言って、無定見に男女同権とか男女平等を声高に唱えるから、
よけいに問題を複雑化して、こんにちの結果になったのである。
とくに一九六〇年代以降、アメリカに始まったウーマンリブに悪乗りした連中の誤った見解がもたらした弊害は、
それはそれはひどいものである。
男女同権も結構、男女機会均等法も結構。それは少しも間違いではないが、この「天地の理」とでもいうべき根本の
天男地女論が示す道理を無視して、みんなが勝手放題に自論をふりまわしたり、行動したりするから、世の中は、
ますます混乱し収拾がつかなくなってきたのは自明の理である。
いま、熟年離婚がさかんに取りざたされているが、熟年者にかぎらず、こんなばあい最初に離婚話を持ち出すほうに魂の
絶対的な貧困があるのに、わが身の魂の貧困さをタナに上げ、相手を
一方的に非難するのでは、家庭平安、夫婦円満など百年河清(ひゃくねんかせい)を待つのにひとしいといわなければ
ならない。なんとなれば夫婦とは、もともと仇(かたき)の因縁(たとえば電気のプラスとマイナスは必
ずショートする。プラスは陽、マイナスは陰だからである)で結ばれたものであるからして、
容易なことで人類を滅亡させたくない天(造物主といってもいい)は、男女にショート(ケンカする、基本的に合わない本質)の
タネを植えつけてでも、最後は仲良くさせて子供を作り、人類の種の永続性を望んでいる。
なぜショートするタネを植えつけたのかというと、ショートすることによって、相手が自分を強く非難する中に、
自分も気づかなかった欠点や反省点を見出し、そこに歩みよったり、向上する問題点があることに気づく。
もちろん相手も同様。つまり相手を征服し勝とうとする闘争心だけでなく、相手の言い分の中に自分なりの欠点や反省点を見つけ、
結果として妥協するとか、日
ごろの相手の鬱憤(うっぷん)の原因を理解して、たがいに摺り合わせ、子供を産まし次代につなげようとす
る、じつに巧妙にして深謀遠慮(しんぼうえんりょ)な天の配慮が隠されているからである。
そんなワケだから、夫婦のどちらかが、どうにもガマンできず離婚すると、こんどはその後に悲惨な生活が待ち受けている。
厚生労働省〇七年の一人親世帯の相対的貧困率調査によると、母子家庭や父子家庭などの半数以上が貧困状態にあると指摘している。
貧困率が半数以上というのは、これだけにも豊かといわれる日本が、最も貧困率の低い一位のデンマークから数えて、
世界で三〇番目の生活を覚悟のうえでなら、勝手気ままに自我を押し通して離婚をするのもやむをえまい。
しかしこの忌まわしい因縁(いんねん)(因あればか 果あり。果あれば因なかるべからずといわれる真理)は自分一代で断ち切り、
可愛い子や孫にまで離婚の因縁を引き継いではならない。
それはけっきょく、貧困からの脱却をも意味するのだ。
つまり、どれほど相性が悪く思い、相手の仕草の一つひとつが気に入らなくても、あくまで辛抱し我慢し、
そして質素な生活に耐えてでも夫婦関係を維持し全うするなら、最終的には、この世での真の幸福を得られるのは間違いない。
ただしこれには条件がある。
ようするに徹底して男女が棲み分けをして相手に干渉せず、つまり天男地女の理を堅く守り、たがいの領分を侵さないことだ。
ならば必ず生きて、夫婦の幸せを手中に収められる。
これを、「鴛鴦(えんおう)の契(ちぎ)りをまっとうする」という。
鴛鴦とは、ひとつがいのおしどりのこと。
これなら、もちろん、来世は悠々閑々(ゆうゆうかんかん)とした夫婦生活が保証される。
これに反して、あくまで利己にとらわれるなら、たとえカネや財産ができても、そんなものは何の自慢にもならない。
むしろ一から出直す、あるいは貧(ひん)から出直すくらいの素直な覚悟が必要。
これは人は何をしゃべったかより、何を実行したかで、その人の真価が定まるからある。
だからこの世のことは、この世で解決せよ。来世に持ち越すな――といいたい。
理想論と思われるだろうが、これしか、いまの日本や家庭を真から立て直す方法はないと知るべきである。
それは、たしかにしんどいことではある。お察しするのに、あまりあるといえる。
けれどもその、しんどさをなんとしてでも克服し乗り切らなければならないのが、この種の因縁というヤツ。
大体、因縁というヤツは、太いロープか丈夫な鎖でつながっているくらいに、この身の奥にこびりついて離れない存在だから―。
「おメェー、そんなに簡単に言うなッ。おメェーなんかに、オレのこのなんともいえん気持ちが分かってたまるかッ。
そんなに簡単にやれるもんなら、おメェー、一回、やってみろッてんだ」
と、おっしゃるかもしれないが、告白すると、じつは、ジィージも八〇のこの歳にして、今なお、
背骨の奥に食らいついている夫婦相性の悪さという悪因縁と、毎日、もうれつに悪戦苦闘している真っ最中。
なんとか、あの世行きのクルマが来ない前に、つまりジィージが死ぬまでのあいだに、このド堅い悪因縁のロープを
断ち切ってしまわないことには、来世まで、こんな問題の持ち越しはゴメンですからなあー。
それより何よりも本書でもって、こんなに大きなことを言った手前、悪因縁を引きづったままでは、
それこそ引っ込みがつかないではないか。えー、ご同輩よ―。
けれども、この悪因縁。
じつにしぶとく千変万化して毎日攻めたててくるんだ。
それもこっちのムシのいどころなんか、ぜーんぜん気にせずに、「お総菜の買い物に一緒に行きませんか」とか、
「クルマの運転は気をつけて」とか、「きょうのお出かけの予定は」とか等々、猫なで声にいいやがって―。
だからせっかく気分が収まりかけていても、またぞろ焼けぼっくいに火がつき、もとの黙阿弥。
本当に本性の奥に食らいついている「鬼メ(悪因縁)」は、どうしようもないっていうところ。
ボヤキはこれくらいにして、あとは良識ある諸兄の賛意をせつに望むしだい。
ジィージは、すでに老境。世界平和のために、この『天男地女論』を徹底して世の中に訴えて、
わが人生の最後の仕事にしたい所存。以下、なにぶんよろしく。
まあ、地球でさえ、太陽の運行に絶対従順であることを改めて認識していただきたい。
2010年12月 ジィージ亀石
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